月初のご挨拶 

 

146

 

2024101

 

谷川 亘

 

合縁奇縁

 

 

今月号には、まさしくハップニング。想像を絶する人様との出逢いと別れについて書いてみようと思っています。

「合縁奇縁と書いて(あいえんきえん)と読ませるのだそうですが、仏様のお導きにより、普通ではあり得ないような奇妙な巡り合わせによって、人様とののご縁が生まれるごとき珍事が、拙宅近くの公園を舞台として起こっています。以下三例を挙げさせていただきました。

 

3年以上も痛められたウィズ・コロナ。

ことの因縁は“コロナ禍”が発端となります。

今でこそただの季節性インフルエンザと同類に格下げされたものの、敵もさるもの引っ掻くもの。その間、手を変え品を変え、千変万化して襲い掛かり、国中、いや、世界中を震撼させたものです。

コロナに罹患でもしたら厄介者扱い。“三密”なんて厳命が下り、通院している医院では、“患者様”なのに陰性判明するまでは待合室にも入れてくれない。罹患怖さに独り自室に自らを幽閉して身を潜め、“食っちゃ寝”をくり返しては血圧も上がって肥満気味。ほとほと“身の扱い”に困窮してしまいました。

そこで思い立ったのが、近くの「武蔵関公園」朝一のラジヲ体操と水辺周回の“よた歩き”。当時は「一日一万歩」がしきりに推奨されていました。一挙両得ではありませんか。公園での朝の挨拶交わす雑談タイム。これも認知

公園でカワセミが営巣し、毎年雛が数匹生まれては蛇の餌食になって減りはするものの被写体として抜群。背中から腰にかけて青く輝く毛色、長いくちばし、瞬間的にダイビングして魚をとる姿などは、それぞ、コロナ禍様々からもたらされた、想像もしなかった水辺の被写体へのお導きです。

一周1201mの“よた歩き”と老頭児同士の“どうってない会話”こそ、心・身ともに健康で長生きさせていただく源泉だったのです。

コロナ様のお取り持ちによる武蔵関公園舞台の「合縁奇縁」。

先ずは、見覚えはあるが、どこの誰だったか失念していた小学校の同級生との出会い。加えて、同じ高校に通いながら半世紀経て改めて友人宣言した同級生。そして、圧巻は、公園で新たに得た卒寿近い、老いてなお“新鮮”な仲間の誕生でした。

 

幼馴染との再会は、生まれ育った杉並区阿佐ヶ谷の「杉並第一小」の同級生と、お隣の区でもあるこの公園での偶然の復縁(再開)です。

カワセミはその季節になると、ここの公園は専らプロ集団の撮影ポイントでして、大型カメラと三脚に望遠レンズ。しかもお揃いの制服着こんで異様な雰囲気。中に、どっかで相まみえた男がいる。誰だっけかなぁ・・・。おもいあぐねてひと回りしても思い出せない。かと言って、当のご本人も同じ思いなのか?お互いに「どこの誰だっけ?」肩抱き合っても名前が出てこない。「Iだよ!!」60年来の友人復活の瞬間でした。

二つ目。高校はマンモス大学の付属高で私は最後のK組でしたから一クラス50名としても一学年500名以上。卒業してから半世紀。所も名前も全く知らない他人同士。別の友人が個展を開き、三々五々集まって、その帰路同じルートで地下鉄もバスまで一緒。改めて名乗ると、ご自宅は「武蔵関公園」池の端の上の邸宅住まい。“旧友”の間柄とは言えないよねっ。奥様まで家内とは同窓生の間柄と言うご縁。それから二十数年間、今では「今朝も元気?」。朝の体操で、互いに老いた身の健康チェックする間柄。「今日も元気だよね!!」とほっとする。

そして、最後は公園“よた歩き”中にすれ違う、“駄弁り”のご同輩。「おはようございます」の一言だったのに、何となく気性があって互いに腰掛けては雑談する間柄に。聞けば超大企業の社長を長年務められたOさん。最高学府卒で、ご在任当時は飛ぶ鳥落とす名経営者だったことは後に知ることになります。ただ、心許してコピー・メールしていただいたのが、高三当時に書かれた「無益な受験勉強」たる作文の写し。私は、彼とは違って付属校でしたから、苦手の数学では∫も分からずに卒業し、第二外国語が必須だったり、珍ぷんカンプン、四問絶句は“文芸”と改称されまでして、専ら文学書に魅せられたよ。と伝えたら、羨ましがられたことを思い出しています。老いてさえ几帳面なお方で、メール交換すれば即返信。

我らが仲間は、この年になるとメールも面倒で、スマホも指先がふるえる。勿論、「便りのないのは元気な証拠」とばかりに、電話一本しない間柄となり果てました。

老齢にして交わった“新たな友情”でしたが、9月初旬に他界されてしまいました。

中身の濃い2年間。やはり、優秀なお方の生き様は最後までご立派なのでした。

「合縁奇縁」。神仏のご下命によって我らが生き甲斐は授けられたもの。“ひとざま”の生き方はそれぞれ千差万別なのです。

 

.....................................................................................................................................................

 

表題部の写真

 

 

 

 

 

 

同じ花でもまるで別物

 

 

彼岸花、別名曼殊沙華(まんじゅしゃげ)。

 

「赤い花なぁ~ら曼殊沙華 オランダ屋敷に雨が降~ぅる 濡れて泣いてぇ~る ジャガタラァ~お春」。まだまだ続く・・・。渡辺はま子歌唱の「長崎物語」。哀愁に満ちた大好きな節回し。感情込めて、そらでも大声で歌えるよ!!。

何故か、戦中に生まれ育ち、子守歌代わりに聞いたであろうこの歌は、深く耳奥を抉る(えぐる)んだよなあ。

表題部の写真とぴったりマッチすると思いませんか?

ところ変わって、毎年撮影に訪れる埼玉県日高市の「巾着田曼殊沙華祭り」。毎年花の盛りにをねらって撮りに行っているのですが、花も多いが人出もそれをはるかに上回る。あたりは、おでん、焼き鳥の類の悪臭が蔓延して落涙するに及んで、花の“かほり”なんて、ほのかにも感じられない。もう、お出入り差し止めと相成っています。

でも、呼名は「曼殊沙華」と「彼岸花」。毒花、死人花、墓場の守り神だのと罵倒されたりはするものの、その花言葉は花色によって、赤は情熱、黄は陽気、白は再開を楽しみに、なんだそうですよ。同じ花でも花色や咲く場所、それに時節違えば呼称も変わる。これで良いのですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・